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花が咲く…




ハナガサク、ハナガサク…。
窓ガラスまで凍りそうな冬の夜、小さな声が外へと零れて結晶となる。

寒い空気は弱った肺を傷めるのでこの寒波がやってきて以来、
外へ出る事は出来ていない。
そんな時に口をついて出るのは何故か、まだ少し気の早い春の歌ばかり。

花が咲く、その頃まで自分の世界はこの部屋と建物の中だけとなる。

「リリ、」

白い細い身体をした猫が鈴を震わせながら振りかえる。
この小さい親友はとても頼りになる。
猫は犬より…、という諸説を一概にそうではない、と常々、思っている
この部屋の住人の名前は、『ゼン』といって、身体の弱い子供だった。

この建物に住んでいるのは例外なく、身体の弱い、それでいて入院を
必要とするほどではない、そんな子供たちだった。
ここには医師が常駐しており、親とは別に住んでいる。
大抵が空気の汚れた都会に適応できなかった者たちで、澄んだ空気が
いまだ溢れるこの地域で静養を兼ねて、勉強しているのだった。

コツン、とごくごく小さいノックが一つ。

しかしゼンは聞き逃すことなく、すぐにドアを開いた。

「こんばんわ、歌が聞こえたから、起きてるのかと思って、」
「五月蝿かった?ごめん、」
「構わないよ、今日は熱を出して一日寝てたんだ、もう眠くなんて
ないから暇つぶしを探してた、」

隣の部屋から来たその少年の名前は『ラーゼ』。
ゼンと同じく呼吸器の弱い彼は今日も熱を出して寝込んでいたのだ。

「もういいの、」
「うん、平気さ。身体の調子は先生より自分の方が詳しいからね、」
「言えてる。」

ひとしきり笑った後、ゼンは自分たちが廊下で話しているのを
思い出して、ラーゼに言った。

「どうせなら、こっちの部屋にくる?リリがいるけど、」
「最近はアレルギーは随分マシなんだ、あんな可愛いものに出る
なんて自分で嫌になる、」
「そう、」

幸い、ゼンは平気だったが、ラーゼには動物の毛もまた大敵なのだ。
アレルギー性の喘息を持った子供は此処では珍しくない。

「リリ、久しぶりだね、お隣なのに気軽に会えないなんて、」
「あまり、無理してはいけないよ、」
「分かってる、」

リリも分かっているのか、ラーゼの手に一度、頬をすりよせた後は
少し離れたところで丸くなる。
アレルギーと、動物の好き嫌いは別だ。
実際、ラーゼは動物が大好きだった。

ゼンが放って寄越したキャラメルを食べながら二人は窓際のベッドに
腰を下ろした。

「今日の授業はなんだったの、」

ラーゼの言う”授業”とは、は美術の時間の事だ。
勿論、数学やら国語やらもあるが、彼が熱心に受けるのはこれだけだ。

「小さな木を彫刻刀で削ったよ。栓抜きを作るんだってさ、」
「面白そう、明日、僕も先生に木を貰おう。」
「また、君は他の授業そっちのけで作るんだろう、」
「当たり、」

小さく笑った後、ラーゼは、美味しいな、とつぶやく。
口の中のキャラメルは甘くて、やわらかい。
少し苦みが残るのが後を引いてつい、もうひとつ、と言ってしまった。

「作ったんだ、」
「君こそ、そういうの、好きだな、」
「まあね、料理全般好きだけど、特にお菓子が好いな、好きだからね、」
「単純、でもこれ、本当に美味しい、」
「ほめられてるのかな、」
「勿論、」

ゼンの趣味は料理を作る事だった。
特別に教師の監督なしでも調理場を使う事を許されていて許可を取るのも
大抵の者は彼の腕前を知っているので簡単なのだ。

「中はあったかいけど、今夜は特に冷えてるね、ガラスがとても冷たい。」
「うん、だれかさんは、花が咲く、なんて歌ってたけど、」
「なんだろうね、よくわからないけどその歌が出てきたんだ。」
「ふーん、君、料理してる時もよく歌ってる、」
「え、そう、」
「僕のママもそう。よく歌うんだよ、調子外れだったりするけど、ね、」
「…もうすぐ、クリスマスだね、」

どちらからともなく窓を見る。
年の瀬、大人たちは浮かれる子供たちをよそに大忙しといった態だ。
彼らの両親も例外ではない。
この寒さでは、施設は帰宅を許してはくれないだろうが両親の訪問も期待は
できないのだった。もうその辺りが分からない年齢の二人ではない。
それが余計に彼らをもどかしくするのだ。

「君にはリリがいる、」

少し口をとがらせるようにして、ラーゼがゼンに言った。
おどけてはいるが本心なのが分かっていたのでゼンは少し微笑んで言った。

「それに君もね、ラーゼ、」
「、」

少し顔を赤くして口元を綻ばせるくせにラーゼはこういう時、決まって
強がりを言う。

「どうだか、ね。」
「あ、そうだ、今年、僕、ケーキを作るんだよ、」
「本当かい、すごいな、」
「毎年、何個かあるだろう、そのうちの一つを作らせてもらえるんだ、」
「君なら大丈夫、いつも食べてる僕が保証する。」
「ありがとう、」

ゼンは素直に喜ぶ事の出来る少年で、それはラーゼが彼を気に入っている
所の一つでもあった。

「何にしようかな、チョコ、とか、」
「それがいい、」

ブッシュ・ド・ノエルもいいな、とゼンは楽しそうに言いながら、また、
鼻歌を歌い始める。

ハナガサク、ハナガサク…。

楽しそうな人が歌うとどうしてこう、聞いていて心地いいんだろう、と
ラーゼは考えていた。

「辛い歌や悲しい歌は嫌いさ、」
「、どうして、」
「落ち込んでしまうんだ。まるで自分の事みたいに、」
「なんだか、君らしい、」
「そうかな、」

また、口をとがらせようとしたラーゼが、ふと、言葉を切った。

「どうしたの、リリ、」

ラーゼの声にゼンもリリが不意に駆け寄った窓を見た。
思わず、顔を見合わせた二人は、にっこりとほほ笑み、そっと歌い始めた。

「花が咲く、花が咲く、小さな花が、君の上、僕の上、みんなの上に、
花が咲く、花が咲く、」

二人の歌声は小さく小さく、けれど、しっかりと凍りつく空へと…。
そして、空からは細かな雪の花がちらちら、と舞い落ちるのだ。

ハナガサク、ハナガサク…。





実はこの二人の名前、病弱設定なので             
家の猫のサプリメントからとってみました。             
…尿道結石用の、ね…。             
二人ともごめんよう、笑。             
如何でしたか?

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