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移ろい


一日を終えた身体は嫌に成る程重く感ぜられた。
部屋へと向かう足取りはまるで老いた老人のそれで
私は一日のつもりが何年にもなっているのではないか、と
実に考えたりもした。
 
あのドアはあんなにも遠かったのだろうか。
あのドアは私から遠のいているのだろうか。
 
それでも一歩毎、それは近づいて…
 
少し手垢で汚れた真鍮製のノブに指を置く。
不用意な音を上げるそれをくるり、と回すいつもと
なんら変わりのない夜。
 
このドアを開ければ何が変わるというのか。
このドアに私は何を変えてくれと願うのか。
 
年中開け放した二つの窓は互いに空気を吸ったり吐いたり
しては、この部屋の空気を循環させている。
それも今日とて変わった事はあるまい。
季節が巡り、近頃では部屋を封切った時は僅かにすう、と
いうような爽快感を感じる事が出来る様になった。
 
夜半の風は涼しく、ともすれば冷たく気管をいじめたが
それすら私には何ぞの証の様で心地がよかった。
今夜もそれが味わえるのだろうか、それならば好い。
だがまた、そうでなくても好い。
 
私は逡巡を止めて鈍く光るノブを引いた。
 
空を通り、街を駆け、部屋をすり抜けた風が私という
防風壁にぶつかって廊下へと流れ出ていく。
息を呑んだ。私は喉を鳴らして息を呑んだ。
あるいは、その香りを呑んだのやも、しれなかった。
 
よく知ったその香りは不思議に近くよりもこうして風に
漂うを嗅ぐ方が好くたつという木のものであった。
小さな橙色の花を強い芳香と共に開く。
風が涼しくなった頃、ふと、風の合間に漂うのが郷愁を
誘うあの、金木犀の香り。
 
部屋にはそれが満ち満ちて。
後ろでにドアを閉じた私の中にも徐々に溜まっていく。
 
 
ああ、季節は移ろうのだ。
ああ、私も、また移ろっていくのだ。
 
この香りも何れは此処から去り行くのだろう。
時は、見えなくとも決して止まらず、動き続けているのだから。



秋は少し、文学を気取って。             
若干重たい感じと暗い雰囲気にしたのは             
金木犀の香りと色が映えるように。             
如何でしたか?

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