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雨の雫


外に出ると、重たい雲から、ポツリ、ポツリと、雨が降ってきた。
MとYは、わざとゆっくり、自転車を走らせた。
二人は、雨に濡れるのが嫌いではない。
先程までの蒸し暑さの方がどちらかといえば苦手である。
濡れると、多少体が冷やされて涼しくなる。
暑さに弱い二人にはまさに天の恵み、だった。
 
「しかし、よく降るね。今日で三日目だ。」
「そりゃ、梅雨だもの、夏よりはいいさ、」
「確かにね、」
 
二人が自転車を走らせていると、ふと、
橋の近くに小さな旗が立っているのが見えた。
 
「あれ、なんだろ、」
「さあ、行ってみようか、」
「賛成、」
 
二人は妙に気になって、近くまでよってみると、
旗だけではなく、屋台のような店が
あるのが見えた。 しとしとと降る雨にかき消されてしまいそうな、小さな店である。 二人はその店の前に自転車を止めて、藍染ののれんをくぐった。 中は思ったより広く、清潔な感じがする。 のれんに下げられた風鈴がりりん、と涼やかな音をたてた。 その音に呼ばれるように一人の少年が顔を出した。 「いらっしゃい、」   少年の服装が二人を驚かせた。 少年は緑色の雨合羽の様な物を頭からかぶっている。 足元は見えないが、ぺたぺたという音がするので、長靴でも 履いているのだろう。 「なんだか妙な事になってきたね。」 「しっ、聞こえるよ、」 二人は少年に促されて、ガラスケースを覗き込んだ。 中には見たことのないお菓子が並んでいる。 透明な物の中に餡(あん)が入っているらしい。 「綺麗だね、」 「何から出来てるの、」 少年はケースから、一つ、取り出して見せてくれた。 少年の手の中で透明なお菓子がフルフルと、震えている。 「これは、梅雨の長雨の時期に雨の雫を集めて作ります。 だから、このお店も梅雨のそれも、雨と雨の間の日にしか、 出していません。餡を雨の粒の中にそっと滑り 込ませるのが、難しいんですよ。」 「へえ、」 二人は息を呑んで、店のランプの明かりに照らされて、 美しく輝くお菓子を見つめた。 値札には、『雨の雫』と書いてある。 「食べてみたいな、」 「賛成、」   二人は少年の方を向いて、聞いた。 「いくら、」 少年はにっこり笑って言った。 「お金はいいです、あなたたちが最初のお客さんなんだ。 僕、今年からやっと作らせてもらえるようになったから。」 「いいのかい、」 「うれしいな、」 少年は初めてとは思えない、慣れた手つきでお菓子を 小さな竹籠に入れた。 竹籠には竹の葉が敷いてあった。 それを金魚すくいで金魚を入れるような小さな袋に入れてくれる。 二人は一つずつ袋をぶら下げて、少年にお礼を言った。 「ありがとう、食べるのがもったいないくらいだ。」 「本当においしそうだな、ありがとう。」 少年は少し恥ずかしそうに頭を下げた。 「そう言ってもらえると、うれしいな。」 二人はもう一度少年にお礼を言って、店を出た。 そして自転車のハンドルに袋をぶら下げてから、Mが ふと振り返って声を上げた。 「あ、」 Yも振り向いて同じように声を上げた。   「え、」 そこには店など、無かったのだ。 店だけではなく、旗ものれんも跡形も無い。 Mが、呆然としたまま、呟いた。 「さっきまで、ここにあったのに。」 Yはふと気付いて、Mに言った。 「雨が上がったから、じゃないかな、」 「ああ、きっとそうだね。」   二人が見上げた空には束の間の晴れ間が覗き、虹がうっすらと 伸びていく。 袋の中の『雨の雫』はとろりと光って見えた。



和菓子がお好きな方なら、お解かりですね?             
モデルは「葛饅頭」です。好きなんですよねえ。             
暑くなってくると店頭に並ぶあの透明感が堪りません。             
如何でしたか?

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